体はそれ自体が自然

という意味

ここでは自分が影響を受けた

「木を植えましょう」

(南方新社)正木高志さん

の一文を引用させていただきます。

 

私とは何か?

自分の手を見てみよう。

手のひら、

甲、

指、

爪、

皮膚があり、

骨があり、

筋肉があり、

血管があり、

血管の中には血液が流れている。

この手の中に、

ほんとうの自分といえるものが

あるだろうか。

 

鏡に映っ顔を眺めてみよう。

ぼくたちが自分だと思っている

この顔の中に、

ほんとうに自分自身といえるものが

あるだろうか。

目、

鼻、

口、

歯、

耳、

髪の毛、

そのどこかにひとつでも

自分のものといえるものが

あるだろうか。

 

いや、これらすべては

米や野菜や魚や肉や牛乳など、

食べたり飲んだりしたものでできている。

自分以外のもので形成されている。

言葉を変えれば、

環境からできている。

自分自身のものなど

なにひとつない。

目も

鼻も

口も

歯も

髪も

すべて環境によってつくられている。

からだの四分の三は水分だ。

ぼくのからだに満ちている水分は、

ほとんどが農場の上流の

谷川の水である。

水田に引かれている水も

谷川の水だし、

毎日食べる米に含まれている

水分もおなじ水。

畑の野菜に含まれている水も同様だ。

お茶をいれる水も

その水源から引いている。

そのようにぼくのからだのなかの

水分のほとんどは

この山の水である。

 

山に降る雨は、

草木を潤し、

谷川を流れて、

海へと流れ下る。

そしてその一部が

ぼくのからだのなかを通過する。

からだにとりこまれた水は、

体液となり、

血液となり、

体内をめぐって、

排泄され、

環境に還り、

海へ流れ下る。

 

農場にふりそそぐ太陽光線も、

トマトになり、

オクラになり、

ほうれん草になり、

大豆になって

ぼくらのからだにとりこまれ、

燃焼して、

農作業をしたり、

考えたり、

話したり、

笑ったり

泣いたりする

ぼくの活動エネルギーになってる。

ぼくの行往坐臥は

この山の自然の燃焼である。

 

また、

食物が燃えてエネルギーとなるのは、

呼吸によって体内にとりこまれる

酸素による。

酸素は植物から供給される。

ぼくたちが排出する二酸化炭素を植物が吸い、

植物が排出する酸素を吸って

ぼくたちは生きている。

循環は一瞬もとどこおることなく

流れつづけている。

 

よく見れば、

僕たちのあらゆる細胞、

一挙手一投足は、

すべて環境からできている。

 

私とは何か?

私は環境だ。

 

手も環境、

足も環境、

頭も環境、

お尻も環境、

歌も環境、

労働も、

祈りも、

あらゆるものが環境だ。

環境以外のものはひとつもない。

 

環境はまたぼくたちのからだのなかに

固定されているわけではない。

細胞は約三か月間で

入れ替わってしまう。

体液も、

血液も、

筋肉や骨や毛髪の細胞も、

すべてが一瞬一瞬

新陳代謝をつづけている。

流動が止まったら、

死ぬ。

環境はぼくたちのからだにはいり、

変化し、

環境に還る。

つまりぼくたちは

流動する環境のプロセスなのだ。

ミミズが口から土をとりこみ、

尻から土を排出しながら

土の中で生きているように、

ぼくらもまた口から環境をとりこみ、

尻から環境を排出しながら

環境の中に生きている。

 

ぼくたちが

自分以外のものからなりたっているのは

からだだけではない。

たとえば考えること。

ほくが考え、

語っている

言葉や概念のなかに、

何かひとつでも

ほんとうに自分自身のもの

といえるものがあるだろうか。

生まれたとき、

ぼくは言葉を知らなかった。

言葉によって認識している世界のすべては、

誕生した後に

親や兄弟姉妹、

近所の人々、

学校先生や級友たち、

職場の先輩や同僚たち

から学んだことであり、

本や、

新聞、

雑誌、

映画、

テレビ、

インターネット

などから得た言葉である。

そよ風や夕焼け、

小川のせせらぎや魚たち、

雑木林の小鳥や昆虫、

海、

山、

子供のころに飼っていた

犬やカブトムシたち、

夜に眺めた星座から得た情感。

 

言葉や概念というものはすべて、

さまざまなできごとや

人々や

自然から学んだものによって

なりたっており、

はじめから自分のものであったものは

ひとつもない。

言語そのものが

数千年、

数万年、

あるいは人類誕生以来つちかわれ、

伝えられてきたものだ。

 

世界にはひとつの大きな言葉の海、

あるいは観念の海のようなもの

存在するのだろう。

それを文化と言って良いかもしれない。

ぼくたちはその表面にたつ

無数のさざ波のひとつなのだ。

それぞれの波はみな

少しずつ形が違っているかもしれないが、

どの波もおなじ海水からできている。

存在しているのは海だ。

 

 

このように、色々なことを考えることが「整体」にたどり着く近道ではないでしょうか。

体はそれ自体が自然なのかもしれません。

「環境」や「食事」は大切ですね。

大切にしていきましょう。


 

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